一定期間更新がないため広告を表示しています

 素直な心とは 誰かの指示に

言われるままに従うとか

何か 得た知識を

そのまま鵜呑みにするとか

その様なことではない


物ごとや 聞くことなどに

純粋に反応する心

自分自身の感動や 識別など

純粋な心の動きができるということである


「創造からの贈り物」より



本を読んで大切なことに気づいたとか、感動したとか、

本から教えていただいたと一見おもうことも、

気づかなかっただけで実は自分のなかに存在していたのである。


反応するということはそういうこと。


何かの反応によってでなくとも、

ふと内から湧き出たものは素直に受け止めてあげたい。


なぜなら、

それこそが創造からの贈り物、神であるから。
今日、大塚朋美さんによる朗読会をおこなった。

まだ準備をしているとき、たまたま来店した方がおなじく大塚さんという名前だった。
 
朗読会の大塚さんは岐阜、あとから現れた大塚さんは高知から来られたという。
 
この出来事がたんなる偶然とはおもえなかった。

大塚さんがふたり居たからではない、なんとなく直観でそう感じたのである。

予感したとおり、高知の大塚さんから一冊の本がでてきた。


万物の根元「創造からの贈り物」 田村京子著

田村京子は大塚さんのペンネームである。

気になったので朗読会終了後すぐに読みかけた。
 

車窓を流れる風景を眺めるように読んでほしい

その時には何とも思わなかった景色が ふとした瞬間に 

脳内ではじけて目の前に蘇るように

ただ流れていっただけの言葉たちが蘇り 

心に響く 気づけば “ 本物の人生 ”を紡いでいる



(中略)


知識を追う必要はない

知りたいことを求め

想いのままに動くがよい

想いのままを発するがよい

そうすることから 全てが順調に巡るのだ

その様に応援をしているのだ



(中略)


本を読むとは 文字を読み文章を記憶することではなく

その奥に広がる世界を感じ取ること

心の奥に湧き上がるものを感じ取ること

自らの心の奥に真理が浮かび上がるもの

自らの心の奥を読み進むこと




なんだこの本は?

心にあるもの、自分が言葉にできないものを代弁してくれているようだ。

この人、何者?


読みすすめるまえに確かめておきたいことがひとつあった。

「創造」の意味である。

創造(そうぞう)とは、新しいものを産み出すこと。
創作や発明、あるいは新しい考え方など、オリジナリティの強いものに対し使うことが多い。

創造力を育むには「退屈な時間」が重要と指摘されている
 (ウィキペディアより)



自分が理解していたものと大差ないが、あとの部分がひっかかった。

自分の創造力 = 自分の退屈な時間   こんな式が成立しやしないか?


だとしたら、力の使いかた、時間の費やしかた、あらためなければならないことがたくさんある。

人は誰でも創造したい。 すくなくとも私は。 



この本が訴える創造とは何を意味するのか、まだ読みすすめてみないとわからないが
何か大きな影響を与えてくれそうな予感がする。

現に、わたしは動かされている。

一冊読み終えないうちにネットで発信することはまずない。
このブログも久々の更新である。
 
「 想いのままに動くがよい 想いのままを発するがよい 」


いや、もしかしたら・・・

朗読会の開催を決めたときから動かされていたのかもしれない。

創造というものに。


 
生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること


あなたと手をつなぐこと



生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと



生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ



生きているということ

いま生きているということ


いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ


いまいまがすぎてゆくこと



生きているということ

いま生きてるということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ



人は愛するということ


あなたの手のぬくみ

いのちということ



 


美しいものを、ただ眺めてたいだけ。
それで満足できるの。

そんなのん気じゃダメ?
もっと現実的なことを見なきゃだめかしら?


たとえば、わたし好きな詩があるの。




そう言って見せてくれた谷川俊太郎さんの「生きる」。

ドキッとしました。

詩と、この詩を大切にするあなたの感性に。

 

真っ暗な中で過ごしているときがあった。

体はなく意識だけがあり、しかし周りを眺めることができた。

果てしない暗闇のなか、ところどころにモヤモヤっとした物体、糸がからまりだんごになったような、電波の線がかたまりになったような・・

表現はしにくいが、その物体は「仲間」という認識があった。

なぜかはわからない。 

一人ではなく複数の存在。
 
一緒になりたい!(混ぜてもらいたい)という気持ちでうらめしそうに眺めてた。

どれくらいの時間だったのだろう。長いのか、短いのか、それはわからない。

あるとき決心し、そのかたまりに混ざり合った。

受け入れてもらえるも、もらえないもない。

「そっちに行こう」という自分の意思だけでそうなる、容易いことだった。


そんな記憶が幼い頃にあった。

不可解なのでだれにも話したことはないし、自分でも「きっと夢を見たんだ」と思うようにしていた。


しかし、大人になったいまおもう。

あれは夢の記憶ではなかったと。
 僕は 大自然の驚異に 敬意を払う

だからアマゾンの現状に 怒りを覚える


毎秒 フットボール場の面積が 伐採されてるという

環境破壊が気がかりだ



だからこういう曲を書く


人々が目覚めて 希望を抱けるように



僕は 地球を愛してる

木が大好きだし 紅葉する葉も魅力的だ



僕は そういうものに尊敬の念を抱いてる






自然は 必死になっている

人間の不始末を 埋め合わせようと


地球は病んでいて 熱があるんだ

今でなければもう治せない


今が 最後のチャンスなんだ


僕らは暴走列車


今こそ その時




みんなこう言う

‘誰かがやってくれる’と


‘誰か’って?


僕から始めよう

でないとなし得ない



1